Motogo History

川口市元郷

 江戸時代以降、幕府領元郷村となる以前は、岩槻太田氏の家臣、平柳蔵人 (ひらやなぎ・くらんど)の領地で平柳村と称されていた。元郷はその本村= 中心という意味で呼ばれるようになったとされている。稲作を主としていたが 幕末頃より赤味噌の製造が盛んとなり最盛期には十数件の醸造元を数えた。 味噌醸造は太平洋戦争後まで続くが、信州等大生産地の影響でその後衰退。


川口の伝統産業

 昭和初期、内燃機関用ピストンリングの開発に成功した日本ピストンリング 株式会社は陸・海軍省の指定軍需工場としてこの元郷に工場を建設、船舶・ 航空機等のエンジン部品の製造を始める。(上写真が昭和10年代の日ピス工場) 同社製品は高品質で定評があったが、戦況の拡大に伴う更なる性能向上の求めに 応じ耐用時間を4〜5倍と飛躍的に伸ばしたクロムメッキリングの開発に成功、 ゼロ戦( 零式艦上戦闘機 )や隼( 一式戦闘機 )・疾風( 四式戦闘機 )といった最新鋭の戦闘機に採用された。 増産に次ぐ増産で太平洋戦末期には勤労動員を含めて約1万人が従業し、朝夕の 通勤時には川口駅からの人の列が途切れることなく続いた、という逸話も残っている。 が敗色の度が増す中で全国の主要都市、基地、軍需工場は米軍の空襲を受けるに 至ったが、日ピス川口工場は辛くもこの難を逃れ、無傷で終戦を迎えた。
 敗戦後、一時 進駐軍 に接収のため閉鎖されていたが、昭和22年早くも操業を再開、民生用船舶・ 自動車のエンジン部品製造を開始、 朝鮮戦争 を経てその後、高度経済成長と共に日本有数のメーカーとして発展を遂げた。 その高い技術力は東洋工業(現マツダ)と共同で ロータリーエンジン の開発に苦難の末、成功したことでも証明された。
 しかし、周辺環境の都市化・住宅化に伴い、昭和60年栃木工場竣工と共に川口工場は 移転、跡地は大手開発会社の 株式会社大京 に売却され、現在はエルザタワー55・32という超高層住宅と商業施設ビル (サミットストア・スポーツクラブ等)となっている。


日本ピストンリング株式会社        エルザタワー

 戦前より大手鋳物工場に勤務し技術を学んだ金子忠良(日本金属鋳造工業(株) 初代)は、終戦直後の昭和22年、日ピスより一部工場を買い取り鋳物工場を 創業。当初は戦後需要もあり鍋・釜・風呂釜などを生産、その後は一般機械部品 の製造を行い、山梨県韮崎市に分工場を設置するまでになった。  が、オイルショック以後、構造不況業種となった川口の鋳物工場の例に漏れず 業績が悪化、従業者の高齢化で人員確保も難しく、昭和54年、自工場での鋳物 生産を終え、工場・倉庫・駐車場の賃貸による営業を3代目金子良治が継続し 現在に至っている。
 日ピス時代から引き継いだ工場建物は多少形を変えつつも今も2棟が残る。 昭和10年代に建てられたものだが、それぞれ別の場所にあった味噌蔵と風呂屋 を現在地に移築したものと伝えられており、建物としての当初からの正確な経過年数 は不明である。
昭和50年代の日本ピストンリング(株)川口工場の全景。三つの鋳造部があり、右寄り横長の工場が第一鋳造。
日本ピストンリング株式会社刊「日本ピストンリング55年のあゆみ」から。
画像をクリック すると同工場のかつて様子と現在の様子を比較してご覧頂けます。