■FRONT GALLERY

花野井 薫


【 ↓展示風景 】各画像をクリックすると大きな画像をご覧頂けます。


旧芝川のイメージは私にとっては近所のドブ川であり、それをテーマにするのは難問でした。
展示仲間の一人が今回の展示に必要な材料を旧芝川で見つけたときに「川の神様からのプレゼントだ」 という言葉をごく自然に語られていたのがヒントになり、そういうイメージで制作してみました。 空の写真は別のスペースで展示のあらかわあつこさんが撮影したものです。




花野井 薫 kaoru hananoi

略歴
1966年  川口市生まれ
1992年  フラワーデザインを趣味として習い始める
1996年  講師資格を取得
2000年〜 世界らん展日本大賞フラワーデザイン審査部門出展
2003年  世界らん展日本大賞フラワーデザイン審査部門トロフィー賞受賞
2004年〜 フラワーデザイナー久保数政に師事
2005年9月 記憶のカケラ
2007年1月 花佇む
2008年5月 INCLUDE
2010年7月 GROVE


林 洋典

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人間や私自身のフィルターを通してしか環境問題は語れない。旧芝川、新芝川とか、人間の恣意的区分でしかない。見方によってはただの水の通路、排水溝。

環境問題においても、人間の生命が維持できないから、他の動植物に申し訳ないから人間の勝手で世界を壊してはいけないから、どうしても人間のフィルターがかかる。

人間のフィルターを通さざるを得ない以上は、どう社会と向き合うか、人間としてどういきたいか、これが必要になる。

京都に生きた人たちは街の深い歴史を背景とし、過去から脈々とつながる流れに自信と誇りを持っているように。

川口においては芝川とともに街を社会をつくってきたのだから、皆でその痕跡を明らかにし、川口に生きる人間に自信と誇りをもたらす川となってほしい。汚い川で果たして誇りが持てるであろうか。

そしてもうひとつ。 私は単純に人間の生命が維持できない環境にしてはいけないと思う。

北極の氷の融解阻止に反対して私は果たしてどれほどのことができるであろうか。自分の生活を抱え、果たしてどれほどのことができるであろうか。

それと引き換え、身近な芝川においては知識も持ち合わせているので、わずかばかり、動けるのではないかと思う。

こういった活動を通して、何か感じた人が次のアクションを起こしてくれればいい。無意識でも人の記憶に刷り込めれば、それが積み重なりその人の意識の変化があるかもしれない。

私はピラミッドの石でいい。そこに何かが積み重なれば今後数千年をささえる、ひとつの石になれば。

そういった思いで環境問題と向き合っている。
今回の展示にあたって芝川を歩いた。確かに芝川は汚い。

その中で驚きが。小魚がたくさんいる。これまで見なかった光景だ。悪臭も少ない。スカムも浮いていない。

行政の整備によって数年前の惨状よりは幾分か改善されている。その面において素直に評価したい。幾分かマシになったとしても私たちは芝川の根本的な在り方を今後も考え続けていかなくてはならない。

過去において芝川の洪水から街を守るため、私たちの生活に安心をもたらそうと必死で対策を考えた人たちがいる。その人たちのおかげて私たちは洪水など考えもせずに生活できている。その結果が新芝川、旧芝川なのである。その結果の汚染なのである。だから決して私は汚染を断罪できない。

ただ、深刻な問題なのは間違いない。深刻な洪水問題に対し先人達ががんばってくれたように、私たちもこの深刻な水質汚染に対し向き合い、答えを出し、結果を出していかねばならない。




林洋典 hironori hayashi

昔から受け継がれたよいものは形を変えて残っていく。
昔から受け継がれたよいものも形を変えて消えていく。
残すべきものが消えたのは一体何なのだ?
ものごとの基準は一体何なのだ?
なんとなく見つめていたら、歴史という言葉で考えを発信しているように
なっていた。ピラミッドの石で構わない。
ちょっぴり聞いてくれる人がいれば、増幅してくれる人がいれば。
そこには石が重なる。
時代の波に流されない石が重なる。

経験してきたこと
川口市内中学校の歴史系部活
まちのこし集団かわぐち塾
川口市内の不動産賃貸業


各展示詳細 ■SPACE-1:崔誠圭  詳細
■SPACE-2:田中大介  詳細
■SPACE-3:山田純平  詳細
■SPACE-4:あらかわあつこ  詳細


KAF INDEX