こ う の ひ ろ こ

南 米 北 米 彫 刻 旅 行 記 ・1



 「アーティストの制作するものは何であれ、常に一種の自画像である」これは、彫刻家マリソール (Marisol
Escobar 1930−)の言葉です。

 マリソールは1930年にヴェネズエラ人を両親にパリで生まれ、1950年以降はニューヨークを本拠地として活動 する女流彫刻家です。その作品はアメリカ、ドイツ、ヴェネズエラなどで見ることが出来ます。 日本でも彫刻の 森美術館、徳島県立近代美術館に収蔵されており、1995年には彫刻の森美術館で回顧展が開かれました。

 人物をテーマとした箱型の木彫が大きな特徴である彼女の作品には、彼女自身の自刻像が組み込まれ、 アッサンブラージュ【※注釈】されている事が多く、そのテーマは自らと社会の関係や風刺、自らの古い思い出、 家族といった要素を内包しているように見受けられます。ハプニングス、ポップ・アート、ミニマル・アートまた、 それらの要素を彫刻として具現化する事で自分とは何かを追求し、などといった目まぐるしく変貌するアメリカの 現代美術界とは一線を画した存在となっています。

 この様な背景の中でマリソールが制作し続けた‘自画像’とは何だったのでしょうか。箱型の木彫作品のルーツや 造形的な面白さ、時にはスタイルを一変させ実験的な作品を発表していく姿勢、そして作品と社会との関係性に興味 を持ち、それらを調べてみたいと思いました。併せて、近年まで生家が有ったヴェネズエラの首都カラカスの様子、 カラカス在住の彫刻家、コルネリス・ジットマン(Cornelis Zitman 1926−)の取材も兼ね、旅行を計画しました。

これから綴るのは、その時の旅行記です。


 2001年6月下旬、私は友人と南米ヴェネズエラ【図1】へ旅立ちました。日本ではまとまった数の作品を見る事が 出来ない作家―マリソールとコルネリス・ジットマンの作品を取材するためです。

 マリソールとジットマン、興味深い2人の彫刻家ゆかりの地カラカスは、日本から飛行機で向かう事約1日半、 人口343万人という南米有数の大都市。その中心部は近代化が進み高層ビルが立ち並んでいますが、その一方では 剥き出しの煉瓦の壁で造られた家並みがひしめきあっている地帯も有りました。壁がライトブルーに塗られた家など もあり、日本とは全く街全体の色合いが異なっています。公用語はスペイン語。文字通り右も左もわからない私達は、 ジットマン夫人の車に乗せて頂いてカラカス郊外にあるジットマン邸を訪れました。

 ジットマンは1926年、オランダに生まれ、絵画を学んだ後にヴェネズエラへと移住。ヴェネズエラで彫刻家として 目覚め、永住を決意し、現在なお活発な制作活動を展開している作家です。インディへナ(ヴェネズエラの原住民。 人口の約2パーセントを占める)をモデルとした静謐な彫刻作品が代表作です。【図2】

【 図 1 】        【 図 2 】
      


 邸宅に到着すると、奥からジットマン氏本人が現れて邸内を案内して下さいました。アトリエは、一階が塑像制作、 吹き抜けになっている二階はデッサンのためのスペースです。「一つの彫刻は数千枚のデッサンを内包している」 という氏の言葉を想起させる、膨大な量のデッサンが静かに散在していました。

 私たちはジットマン夫人の取り計らいにより、カラカス旧市街、中央公園に隣接して建つカラカス・ヒルトン ホテルで開催中の、《fia》―feria iberoamenica de arte― を鑑賞する事が出来ました。
 これはヴェネズエラ国内外、数十軒のギャラリーが集合するイベントで、絵画、彫刻、インスタレーションなど 現在の南アメリカの作家作品を紹介するものでした。【図3】【図4】

【 図 3 】        【 図 4 】
      

 彫刻作品は西洋彫刻の影響を感じさせるものから、土着的なイメージを持たせるものまでと幅広く、的に 洗練されたモダンな印象を受けました。
 《fia》で購入した建築雑誌TRRECASAではジットマン邸とその彫刻作品が紹介されていました。紹介されて いる通りの美しい邸宅に私達は数日滞在させて頂いたわけですが、邸宅は至る所に作品が展示してあって、 さながら‘ジットマン彫刻美術館’の様相を呈していました。【図5】

 その他のページではヴェネズエラの邸宅が紹介されていましたが、よく見ると、その邸宅内には彫刻作品が 多く置かれてあります。ヴェネズエラでは人々にとって、彫刻は身近な存在なのではないのでしょうか。

 《fia》のギャラリーの一つではジットマンが小作品を出品していて、同じギャラリーにマリソールのブロンズ 作品も展示してありました。ジットマン氏の工房を訪れていた若手彫刻家セルフィオ・エルナンデス氏によると、 この像はヴェネズエラを救った偉大な医師であり、頻繁に彫刻や絵画のモティーフになっているのだという事でした。
 
   その次の日に訪れたカラカス現代美術館は、中央公園のビル内にあり、ゆったりとした展示空間にヴェネズエラ 内外の現代美術作家の作品を展示していました。現代美術館の作品は戦争や災害へのオマージュ、インスタレーション が多く、それは1990年代後半日本で注目されていた頃の東南アジアの美術を思わせます。

 近くには、国内美術ギャラリー(通称G.A.N.)、美術館 (通称 M.B.A.)が点在しています。いずれも入場無料 であり、国内外の作品をコレクションし、一方では芸術家の育成にも力を入れているようです。国内美術ギャラリー ではヴェネズエラで注目を浴びている造形作家アルマンド・レヴェロン(Armando Reveron 1920―)の個展が 開催されていました。レヴェロンの作品は布や木で作られた人体、そして油彩。【図6】ヴェネズエラの原住民 であるインディへナが作る民芸品や人形によく似ています。また、呪物そのもののような作品が展示してありました。 それらは御幣や人形(ヒトガタ)といった、日本の呪物と似通っているのが印象的でした。そしてこのようなアッサン ブラージュ作品を理解する土壌が、この国にはあるのです。マリソール作品の自由な発想の源を感じました。

【 図 5 】        【 図 6 】
      


 ジットマンを通じてマリソールの住所を手にした私は、緑が多く熱気に溢れる発展途上国であるヴェネズエラから、 その好対照であるとも言えるニューヨークへと渡った。ニューヨークは周知のように世界の中心的役割を果たす都市 である。ヴェネズエラ、そして日本との違いに戸惑う。ひょっとしたらこの戸惑いをマリソールも感じたのかも知れない。



【 ※注釈 】 アッサンブラージュ(assemblage):

 現代美術における特定の作品の様態、制作方法を指す語。英語読みではアセンブリッジ。様々な物体、特に既製品 や廃品、またはその断片を寄せ集める事を言う。コラージュと区別する為に用いられ、1961年ニューヨーク近代美術館 で開催された《アセンブリッジの芸術展》により美術用語として定着した。
 コラージュは主として二次元であり、異質な物の出会いによって予期せぬ効果を生む手段であるが、アッサンブラージュ は二次元、三次元を問わず、しばしば同質の物品を基盤上に集積し、空間的構成物を形成して、寄せ集める事自体に意味 を認めている。技法としては、第一次世界大戦以前の、木、紙、錫板を用いたピカソによる立体的構成に発し、ダダの シュヴィッタースらが発展させた。その後ネオ=ダダ、ポップ・アートなど、1950〜60年代の前衛芸術の主要な表現手段となった。


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